考察


〈海辺にて〉
水平線に帽子を被せている人を見た
世界と対等に向き合うということは
それほど
難しいことではないのかもしれない
子供たちに蹴飛ばされた波が
海の向こうで
砂浜に描かれた絵を消している
(あるいは誰かを暗い海の底へと)
傷つけることでしか
繋がれない時もある
じっと見つめられると
やはり
僕らは無口になってしまう


〈学校にて〉
先生をビーカーに入れて
塩酸で溶かすと
同じだけの虚しさが
胸の中に生まれた
誰かが質量保存の法則だ、と叫び
それはたぶん正しいことだった
その日
トスカーナ州の子供たちは
ピサの斜塔を蹴り倒し
てんで間違っている、と叫んだ
それもまた正しいことなのだろう
誰も間違わなかった日
世界は少し
間違っているように見える


〈野原にて〉
遠い山の向こうへと繋がる
七色の虹を
その人は背負っていた
重くないですか
と尋ねると
その人はすこし微笑んでから
紺色を手渡し
故郷の虹は六色でした
と寂しそうに呟いた
空っぽでいっぱいの野原の上を
風が吹き抜けていく
有ることも、無いことも
大して変わらないのかもしれない


〈会社にて〉
同期の桜が散ったから、夏
些細な変化は時計によく似ている
受付の女の子は朝からずっと
体温計を口に咥えたまま
お客さまの顔を忘れ続けている
(ところで、その娘の名前が思い出せない)
会社の七不思議はすべて
産業スパイに盗まれてしまったので
この会社は今日も
どこか遠い南の島に似ているような気がする
定時になり
受付の女の子がタイムカードを押す
36度2分の安心と絶望


〈駐車場にて〉
霊安室には
色とりどりの車が安置されている
存在とは形ではなく
温度で定義されるものらしい
すでに
どんな夏の思い出も
語ることのない麦わら帽子の穴に
誰かがキーを差し込む
ギアをバックに入れたまま
一人またひとりと
この場所から去っていく
住むべき世界はいつだって
世界のすぐ隣にあるのかもしれない
けれど
どれだけ速度を上げたとしても
僕らはもうその場所へ
たどり着くことはできない


〈再び海辺にて〉
砂の上に描かれた
いくつもの設計図は
飛び立つこともなく消えていった
海の向こうで
誰かが蹴飛ばした波に
取り留めもないもない言葉たちが
呑み込まれていく
もはや
どんな神もいない三次元の水平線で
始まりと終わりが明滅している
少しずつ薄れていきながら
僕たちは、祈るかわりに思考する